たかが風邪薬で発狂した話

昨今流行りに流行りまくっている若者のオーバードーズ。自分もそれらの一人であった。

理由は学校に行く気力が出ないとか姉からの八つ当たりの鬱憤晴らしだとか日々の憂鬱を誤魔化すためだとかそんなとこだ。

ODするくらいなら学校を休めばいい。

そんなことは後々気づいたことだが自分は小中まともに学校を行けたことがなく、そのとき行ってた高校も「無理しなくていいけどなるべく頑張ってね」と母に30万払わせて通っていたため休むことなんてできなかった。

 

そんな自分が頼りきっていた薬はOD界隈で有名なエスエスブロン君である。

コイツを過剰摂取すればたちまちふわふわとした幸福感とやる気に満ち溢れ、日々の憂鬱も学校も難なく乗り越えられる代物だ。

 

しかしお薬遊びとは危険な行為、こういったものには必ず恐ろしい副作用が現れる。

そうとは知らずにどんどん頻度も量も増えガバガバ飲み続けた自分の体は、少しずつ副作用に蝕まれていった。

 

ブロンを飲んでいる間はアドレナリンが過剰分泌されるのかイライラしやすく、色んな部分が過敏になる。

大量の虫の幻覚が見えたり、体に虫が這うような感触が出たり、少しの物音にも驚き不快な思いをしたり、アカシジア(体がムズムズして強い不快感に苛まれいても立ってもいられない症状)が出たり、急に強い不安に襲われたり……

それ以外にも薬で脳がやられるのか、簡単な計算や文字を読むことも難しくなった。

そんな症状に悩まされても現実の方がずっとつらく苦しいため、薬をやめるなんてできずなけなしの小遣いを握りしめてはドラッグストアへ駆け込んむ日々を送った。

 

 

ある日いつものようにブロンを40錠ほど流し込み、家族の話し声にイライラしながら布団の上で過ごしていると、サーっと全身の血の気が引き、息がうまくできない。

気のせいかとスマホをいじっているとどんどん呼吸が定まらなくなる。

やがて走馬灯のようなものが流れ「あ、これ死ぬかも」とパニックを起こす。

自分はずっと生きるのが嫌だったはずなのに、このとき思ったのは情けないことに「死にたくない」だった。

とりあえず部屋の扉を開け、リビングにいる家族に見えるようにする。

異変を感じた母が自分の元へ駆け寄る。

自分の異変を伝えたいのにどう伝えたらいいか分からず、「どうしたの」と心配してくれている母の声が嫌で母が喋る度に奇声を上げる。

苛立ちと不安でぐちゃぐちゃになりながら過呼吸と発狂を繰り返しているうちに、本当に呼吸が出来なくなってきて、息苦しさと恐怖に耐えられず「くるしい」「たすけて」「きゅうきゅうしゃ」とようやく単語だけを口にした。

母が救急車を呼び、看護学生の姉がバイタルを測り「大丈夫、呼吸できてる」と僕の肩に手を置き落ち着かせてくれた。

 

しばらくして救急車がたどり着き、自分の足でふらふらと救急車に乗り込む。

容態を母が話し、普段通っているところとは違う精神病棟まで搬送された。

運ばれている間は「普段姉貴に死ねって言われてたから僕が死んだら喜ぶだろうと思ってたのに、情けないな」「やっと薬やめられるんだ、やっとこの地獄から解放されるんだ」なんてことを考え、解放される安心感でパニックは治まっていた。

 

病院に着いたは良いものの、解決方法など決まってなく、先生も「話を聞く以外はできない」と困っていた。

何を話せばいいかもわからず、解決されないまま帰されそうになり「このまま帰るのは怖い」と苦しみがフラッシュバックしてまたパニックになる。

 

先生が対処法を練っているうちに、母に薬のことを打ち明ける覚悟を決めた。

全てを話すと不安から解放されたのかパニックが落ち着いた。

母は怒るも悲しむもせずに「そんなことする前に何故相談しないの」と言ってくれた。

ここまで大事にならないと打ち明けられない自分に先生も親も不思議に思っていたが、自分はどうしても怖かった。

母が一生懸命働いて稼いだお小遣いをこんなことに使っていることや、ODなんて行為をしてしまっていることが後ろめたかったのだ。

落ち着いた僕は母の車でそのまま家に帰って精神安定の音楽を聞きながら眠った。

 

 

この一件でODとは本当に恐ろしい行為だと知った。

だから自分は今ODをしている多くの人に伝えたい。

ODは遊び感覚でしてはいけない。

やるにしても死ぬかODか、と自殺と併用して考えるくらい人生に絶望したら。そのくらいODは危険な行為だ。

 

ODは間隔をあけて、大量に飲みすぎないように。

そしてやらないことが一番です。